【千葉県公立高校入試・歴史】江戸後期・幕末で覚えること|異国船対応から開国・大政奉還まで

※本記事は、客観的分析のため『だ・である調』で統一しています。

目次

1. なぜ「江戸後期〜幕末」は改革の比較と外交の時系列で差がつくのか?

千葉県公立高校入試の社会において、近世の終焉から近代への転換期にあたる「江戸時代後期〜幕末」を学習する受験生から、次のような相談を受けることが多い。

  • 「享保・寛政・天保の『三大改革』の人物と政策内容が、並べ替えや選択問題になると混ざってしまう」
  • 「元禄文化と化政文化の人物・作品が、どちらの時代のものか見分けられなくなる」
  • 「異国船打払令から薪水給与令、ペリー来航、日米和親条約、日米修好通商条約までの流れが整理できない」
  • 「日米和親条約と日米修好通商条約で、開港を定めた港や条約の内容がどう違うのかあいまいになる」

18世紀末から19世紀半ばにかけての江戸時代後期・幕末は、国内では飢饉や一揆の頻発によって幕藩体制が大きく揺らぎ、対外的には欧米列強の接近によって約200年続いた「鎖国」体制が終わりを迎えた時代である。

千葉県公立高校入試の古代〜近世を扱う歴史大問(2012〜2025年度は大問4、2026年度は大問2)における過去15年間(2012〜2026年度・計24試験・全118設問 ※近現代を中心とする別大問は集計対象外)の出題を精査すると、この時代は大問の最終設問(問4・問5)として、4項目の直接年代整序、条件抽出型の年代整序、年表空欄補充、2空欄の組み合わせ選択など、知識の正確な時系列と制度理解を問う設問が集中している。

この時代を攻略する最大の鍵は、出来事を単発で暗記するのではなく、「幕府の三大改革の比較」「元禄文化と化政文化の対比」「欧米列強の接近に対する幕府の対応変化から大政奉還までの推移」という3つの軸で時系列と因果関係をつなぐことにある。

本稿では、確定した出題データをもとに、江戸時代後期から幕末にかけて確実に押さえておくべき重要知識を3つの整理軸に沿って解説する。

2. 15年データから見る「江戸後期〜幕末」の出題実績と3つの整理軸

2012〜2026年度の古代〜近世大問において、江戸時代後期〜幕末に関わる設問では、主に以下の出題が確認されている。

試験年度・設問出題形式・判定実際に要求された知識・処理
2016年度 後期 大問4(4)条件抽出・年代整序[A]長篠の戦い(1575年)より前の雪舟を除外し、その後の文化事項(有田焼 $\rightarrow$ 菱川師宣 $\rightarrow$ 十返舎一九[化政文化])を年代順に整序
2017年度 後期 大問4(5)4項目直接年代整序[A]**ラクスマン来航(1792年) $\rightarrow$ 異国船打払令(1825年) $\rightarrow$ 蛮社の獄(1839年) $\rightarrow$ 薪水給与令(1842年)**の順に整序
2019年度 前期 大問4(4)条件抽出・年代整序[A]江戸の三大改革に関する4選択肢から幕末の公武合体策を除外し、徳川吉宗(公事方御定書) $\rightarrow$ 松平定信(寛政異学の禁) $\rightarrow$ **水野忠邦(株仲間解散)**の順に整序
2019年度 後期 大問4(5)2空欄・組み合わせ選択[A]日米修好通商条約で日本に欠けていた**「関税自主権」と、徳川慶喜による「大政奉還」**を識別
2021年度 大問4(4)年表空欄補充・年代判定[A]ペリー来航(1853年)から桜田門外の変(1860年)までの年表で、日米和親条約と安政の大獄が入る時期を判断し、2箇所の空欄を補充
2023年度 大問4(4)政策選択[A]幕政改革の比較において、水野忠邦による「株仲間の解散」(天保の改革)を田沼意次の公認政策などと区別して選択
2026年度 大問2(5)絵画資料・空欄補充選択[A]幕末の民衆が期待した**「世直し」と、徳川慶喜の「大政奉還」**を識別

(※このほか、2014年度後期問4や2026年度大問2問4の「田沼意次と株仲間」、2012年度前期問5や2025年度問4の「元禄文化」など、江戸中期との対比を前提とする設問が複数出題されている)

これらの出題実績から明らかなように、江戸後期〜幕末の設問では、「享保・寛政・天保の三大改革と幕末の政治動向(公武合体など)の識別」「化政文化の時期判定」「ラクスマン来航から薪水給与令への転換」「ペリー来航以降の条約締結と大政奉還までの推移」が直接の正答決定要素[A]となっている。

この分析を踏まえ、江戸時代後期〜幕末の学習は以下の「3つの整理軸」に沿って整理するのが最も効果的である。

  • 【整理軸1】寛政・天保の改革と幕政の動揺(松平定信・大塩平八郎の乱・水野忠邦・三大改革の比較)
  • 【整理軸2】化政文化と新しい学問の広がり(江戸町人の文化・元禄文化との比較・国学と蘭学)
  • 【整理軸3】異国船の接近から開国・幕府滅亡へ(異国船打払令・ペリー来航・2つの日米条約・大政奉還)

3.【整理軸1】寛政・天保の改革と幕政の動揺(松平定信・水野忠邦)

18世紀末から19世紀前半にかけて、幕府は財政難や農村の荒廃を乗り切るため、老中主導による2つの大きな改革を行った。

① 松平定信と「寛政の改革」(1787〜1793年)

天明の飢饉と一揆・打ちこわしの激化によって田沼意次が失脚した後、11代将軍・徳川家斉のもとで老中に就任した松平定信(まつだいらさだのぶ:8代将軍吉宗の孫・白河藩主)は、吉宗の享保の改革を理想として厳しい引き締め政策を行った。これを寛政の改革(かんせいのかいかく)と呼ぶ。

  • 棄捐令(きえんれい・1789年):困窮する旗本・御家人(幕府直属の家臣)を救済するため、米の換金や金融を行っていた商人(札差[ふださし])からの古い借金を帳消し(または利下げ・年賦返済)にさせた法令。(※鎌倉時代の「永仁の徳政令」や室町時代の「徳政令」と名称は異なるが、江戸時代に武士の借金救済を図った法令として区別しておく必要がある)
  • 旧里帰農奨励(きゅうりきのうしょうれい):天明の飢饉などで荒廃した農村を立て直し年貢を確保するため、江戸へ出稼ぎに来ていた農民に旅費などを与えて村へ帰ることを奨励した。
  • 備荒貯蓄(囲米・七分積金):飢饉に備えて諸藩や村々に米を蓄えさせ(囲米・社倉・義倉)、江戸の町人には町費を節約させてその7割を積み立てさせた(七分積金)。
  • 寛政異学の禁(かんせいいがくのきん・1790年):幕府の学問所(湯島聖堂の学問所、後の昌平坂学問所)において、朱子学(しゅしがく)以外の学問を講義することを禁じ、思想や出版物の統制を強めた。(※2019年度前期大問4(4)の年代整序において、松平定信の改革を特定する正答決定要素[A]として出題)

厳しい倹約と統制は世間の反発を招き(「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼こひしき」という狂歌が詠まれた)、定信は約6年で老中を辞任した。

② 天保の飢饉と「大塩平八郎の乱」(1837年)

1830年代に入ると、全国的な冷害などによって天保の飢饉(てんぽうのききん)が発生し、農村では百姓一揆、都市では打ちこわしが激化した。

  • 大塩平八郎の乱(1837年):大坂町奉行所の元役人(与力)で陽明学者の大塩平八郎(おおしおへいはちろう)は、飢饉に苦しむ民衆を救おうとしない奉行所の対応や、米を買い占める豪商の姿勢に憤り、門人や近隣の農民・町人を率いて大坂で武装蜂起した。
  • 歴史的意義:反乱自体は1日で鎮圧されたが、「天下の台所」である大坂で、しかも幕府の元役人が反乱を起こしたという事実は、幕府や全国の諸藩に強い衝撃を与えた。

③ 水野忠邦と「天保の改革」(1841〜1843年)

危機感を強めた幕府では、老中の水野忠邦(みずのただくに)が幕政の立て直しを目指して天保の改革(てんぽうのかいかく)を断行した。

  • 株仲間の解散(最重要):物価の高騰は商人の同業者組合である「株仲間」が商品の流通を独占し、買い占めを行っているためだと考え、株仲間の解散を命じた。自由な取引を促すことで物価を引き下げようとしたが、かえって流通の秩序が乱れて混乱を招いた。(※2019年度前期問4および2023年度問4において、正答決定要素[A]として出題)
  • 人返しの法(ひとがえしのほう):寛政の改革の「旧里帰農奨励」よりもさらに一歩進め、江戸に流入していた農民を強制的に農村へ帰らせ、農業労働力の確保を図った。
  • 上知令(あげちれい・1843年):財政再建と江戸・大坂周辺の防備強化のため、江戸や大坂周辺の大名・旗本の領地を幕府の直轄領に組み入れようとした(替地として別の土地を与えるとした)。しかし、大名・旗本や農民の激しい反対にあって撤回に追い込まれ、水野忠邦は約2年で失脚した。

④ 江戸の三大改革の完全比較(2019年度前期・2023年度対策)

入試で繰り返し問われる「享保・寛政・天保」の三大改革(および田沼政治)を一覧表で整理する。

改革・政治名時期・中心人物経済・商業政策農村・社会・学問政策
享保の改革1716年〜(18世紀前半)
8代将軍・徳川吉宗
・上米の制(献米と参勤交代緩和)
・株仲間の結成容認
・新田開発、定免法(年貢増徴)
・目安箱(小石川養生所)、町火消
・公事方御定書、漢訳洋書の輸入緩和
(田沼政治)18世紀後半
老中・田沼意次
・株仲間の公認・奨励(営業独占を認め運上金・冥加金を課税)
・銅や俵物の輸出奨励
・印旛沼・手賀沼の干拓着手
・蝦夷地の調査
寛政の改革1787年〜(18世紀末)
老中・松平定信
・棄捐令(旗本・御家人の札差からの借金帳消し)・旧里帰農奨励、囲米(備荒貯蓄)
・寛政異学の禁(朱子学重視)・出版統制
天保の改革1841年〜(19世紀前半)
老中・水野忠邦
・株仲間の解散(物価引き下げ目的)・人返しの法(農民の強制帰郷)
・上知令(江戸・大坂周辺の直轄領化 $\rightarrow$ 失敗)

[諸藩の改革(雄藩の台頭)]

幕府の天保の改革が失敗に終わった一方、西南地方の有力な外様大名(雄藩)は独自の藩政改革に成功し、後の政治変動の主役となっていった。

  • 薩摩藩(鹿児島県):奄美諸島の黒糖の専売制や琉球を通じた貿易で利益を上げ、洋式の反射炉や造船所(集成館事業)を建設して軍事力を近代化した。
  • 長州藩(山口県):借金の整理や紙・ろうの専売制、下関での交易などで財政を立て直し、洋式の軍備を整えた。

4.【整理軸2】化政文化と新しい学問の広がり(化政文化・国学・蘭学)

寛政の改革から天保の改革の間の時期(19世紀初め、11代将軍・徳川家斉の治世)には、都市の町人文化が成熟し、新しい学問が全国へと広がった。

① 化政文化(19世紀初め・文化文政期)

19世紀初めに江戸を中心とする町人を担い手として栄えた文化を化政文化(かせいぶんか)と呼ぶ。政治への皮肉(風刺)や滑稽味(ユーモア)を交えた大衆的な作品が多く、参勤交代や街道の発達を通じて地方の都市や農村にも広がった。

分野代表的な人物代表作品・業績入試での識別ポイント
俳諧小林一茶『おらが春』農村の生活や弱い生き物への温かいまなざしを詠んだ(※18世紀後半には俳諧・文人画の与謝蕪村も活躍)。
小説(滑稽本)十返舎一九『東海道中膝栗毛』弥次郎兵衛と喜多八の旅の失敗談をユーモラスに描いた(※2016年度後期問4で年代整序に出題)。
小説(読本)曲亭馬琴(滝沢馬琴)『南総里見八犬伝』房総(千葉県)を舞台にした長編の伝奇小説。
浮世絵(錦絵)喜多川歌麿
葛飾北斎
歌川広重(安藤広重)
美人画
『富嶽三十六景』
『東海道五十三次』
鈴木春信が始めた多色刷りの木版画(錦絵)が発展。北斎と広重は風景画を大成させ、後のヨーロッパの印象派の画家にも影響を与えた。

[元禄文化と化政文化の識別ポイント]

  • 元禄文化(17世紀末〜18世紀初):上方(京都・大坂)中心 / 松尾芭蕉・井原西鶴・近松門左衛門・菱川師宣・尾形光琳
  • 化政文化(19世紀初め):江戸中心 / 小林一茶・十返舎一九・曲亭馬琴・喜多川歌麿・葛飾北斎・歌川広重

② 新しい学問の発達(国学・蘭学・教育の普及)

  • 国学(こくがく):儒学や仏教が伝わる前の、日本古来の精神や考え方を古典の研究を通じて明らかにしようとする学問。荷田春満・賀茂真淵に続き、伊勢松阪(三重県)の学者・本居宣長(もとおりのりなが)が約30年をかけて『古事記』を研究し、『古事記伝』を完成させて国学を大成した。後に平田篤胤らが発展させ、幕末の尊王思想に大きな影響を与えた。
  • 蘭学(らんがく):8代将軍・徳川吉宗が漢訳洋書の輸入制限を緩めたことをきっかけに、オランダ語を通じて西洋の医学・天文学・測量術などを学ぶ蘭学が発達した。
    • 前野良沢(まえのりょうたく)・杉田玄白(すぎたげんぱく):オランダ語の解剖書(『ターヘル・アナトミア』)を苦心の末に翻訳し、1774年に『解体新書(かいたいしんしょ)』として刊行した。
    • 伊能忠敬(いのうただたか):下総国佐原(現在の千葉県香取市)の商人出身。隠居後に天文学・測量術を学び、55歳から全国各地を測量した。その成果をもとに、忠敬の死後、弟子たちが1821年に実測日本地図『大日本沿海輿地全図』を完成させた。
    • シーボルト:1823年にオランダ商館医として来日したドイツ人医師。長崎郊外に鳴滝塾(なるたきじゅく)を開き、高野長英ら多くの日本人に西洋医学や自然科学を教えた。
  • 教育の広がり:諸藩が武士の子弟を教育するために設けた藩校(はんこう)だけでなく、庶民の子どもたちに「読み・書き・そろばん(実生活に必要な基礎知識)」を教える寺子屋(てらこや)が全国の都市や農村に広く普及した。

5.【整理軸3】異国船の接近から開国・幕府滅亡へ

18世紀末から19世紀にかけて、産業革命を経た欧米諸国が市場や捕鯨船の寄港地を求めて日本近海に姿を現すようになり、幕府の対外政策は大きく揺れ動いた。

【異国船接近から幕府廃止までのタイムライン】

・1792年:ロシア使節ラクスマンが根室に来航
・1804年:ロシア使節レザノフが長崎に来航
・1808年:イギリス軍艦によるフェートン号事件(長崎)
・1825年:幕府が「異国船打払令」を発布(無条件撃退)
・1837年:モリソン号事件(アメリカ商船を砲撃) $\rightarrow$ 1839年:蛮社の獄
・1840〜1842年:隣国の清がアヘン戦争でイギリスに敗北
・1842年:幕府が「薪水給与令」に転換(燃料・水・食料の供給)
・1853年:アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが浦賀に来航
・1854年:「日米和親条約」締結(下田・函館を開港 $\rightarrow$ 開国)
・1858年:大老・井伊直弼のもと、幕府が天皇の勅許を得ずに「日米修好通商条約」を締結(5港の開港を規定・不平等条約)
・1858〜1859年:安政の大獄(井伊直弼による弾圧)
・1860年:桜田門外の変(井伊直弼暗殺)
・1866年:薩長同盟の結成
・1867年10月:15代将軍・徳川慶喜が「大政奉還」
・1867年12月:「王政復古の大号令」(幕府の廃止と新政府樹立の宣言)

① 異国船打払令(1825年)から薪水給与令(1842年)への転換

  • ロシア・イギリスの接近:北からはロシアが南下し、1792年に使節ラクスマンが根室(北海道)、1804年にレザノフが長崎に来航して通商を求めた(これを受け幕府は間宮林蔵らに蝦夷地・樺太を探検させ、一時蝦夷地を直轄領とした)。また、1808年にはイギリス軍艦がオランダ国旗を掲げて長崎に侵入するフェートン号事件が起きた。
  • 異国船打払令(1825年):相次ぐ外国船の接近に対し、幕府は1825年に異国船打払令(無二念打払令)を出し、日本の沿岸に近づく外国船(中国・オランダ船を除く)を見つけ次第、無条件で砲撃して追い払うよう命じた。
  • モリソン号事件(1837年)と蛮社の獄(1839年):1837年、日本人漂流民を送り届けに通商を求めて来航したアメリカの商船モリソン号を、幕府が異国船打払令に基づいて砲撃し追い払った(モリソン号事件)。この幕府の強硬策を批判した蘭学者の渡辺崋山(わたなべかざん)や高野長英(たかのちょうえい)らが、1839年に幕府によって処罰された(蛮社の獄[ばんしゃのごく])。
  • アヘン戦争の衝撃と薪水給与令(1842年):1840〜1842年のアヘン戦争で、隣国・清(中国)がイギリスに敗れ、不平等条約(南京条約)を結ばされたという情報がオランダ風説書などを通じて幕府にもたらされた。欧米の軍事力を知った幕府は、無謀な打ち払いが戦争を招くことを恐れ、1842年に異国船打払令を撤回し、遭難した外国船には燃料(薪)や水・食料を与えて穏便に退去させる薪水給与令(天保の薪水令)へと政策を転換した。

[過去問での問われ方:2017年度 後期 大問4 問5(4項目直接年代整序)]

2017年度後期では、幕末の対外関係をめぐる4つの出来事(ラクスマン来航[1792年] $\rightarrow$ 異国船打払令[1825年] $\rightarrow$ 蛮社の獄[1839年] $\rightarrow$ 薪水給与令[1842年])を古い順にすべて並べ替える設問が出題された。「外国船の接近 $\rightarrow$ 強硬な打払令 $\rightarrow$ 批判した蘭学者の処罰(蛮社の獄) $\rightarrow$ アヘン戦争を受けた穏健策(薪水給与令)への転換」という因果の順序を正確に把握しておく必要がある。

② ペリー来航と「2つの日米条約」の完全区別(最重要)

1853年、アメリカの東インド艦隊司令長官ペリーが4隻の軍艦(黒船)を率いて浦賀(神奈川県)に来航し、開国を求めるアメリカ大統領の親書を幕府に手渡した。

翌1854年にペリーが再び来航すると、幕府は要求を受け入れて条約を結んだ。ここで最も重要なのは、1854年の「日米和親条約」と、1858年の「日米修好通商条約」の内容を正確に区別することである。

比較項目日米和親条約(1854年)日米修好通商条約(1858年)
交渉相手(米国側)東インド艦隊司令長官 ペリー初代アメリカ総領事 ハリス
幕府側の中心人物老中・阿部正弘ら大老・井伊直弼(いいなおすけ)
(※孝明天皇の勅許を得ずに締結を認めた)
条約で開港を定めた港下田(静岡県)・函館[箱館](北海道)の2港函館・神奈川(横浜)・長崎・新潟・兵庫(神戸)の5港(※下田は閉鎖)
条約の主な内容・アメリカ船への薪・水・食料・石炭などの供給
・難破船と乗組員の救助
・下田へのアメリカ領事の駐在
・片務的な最恵国待遇
※まだ自由な貿易は認めていない
・自由な貿易の開始(開港場に外国人居留地を設置)
・【不平等①】アメリカに領事裁判権(治外法権)を認める
・【不平等②】日本に関税自主権がない(協定関税制)
他国への広がりイギリス・ロシア・オランダとも和親条約を締結(※日露和親条約では択捉島と得撫島の間に国境を設定)オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の通商条約を締結(安政の五か国条約)

(※2019年度後期の大問4問5では、日米修好通商条約の不平等な内容として日本に欠けていた*「関税自主権」*を徳川慶喜の大政奉還と組み合わせて選ぶ設問が出題されている)

③ 開国による国内経済の混乱

1859年から横浜・長崎・函館で貿易が始まると(最大の貿易港は横浜、最大の取引相手国はイギリス)、日本の国内経済は大きな混乱に巻き込まれた。

  • 主な貿易品:
    • 輸出品:生糸(最大の輸出品)、茶、蚕卵紙、海産物など。
    • 輸入品:毛織物・綿織物、武器、艦船など。
  • 物価の上昇:外国商人が生糸や茶などを大量に買い付けて輸出が増加したため、国内の需給関係が変化し、生活物資の価格にも上昇が広がった。
  • 金貨(小判)の大量流出:当時の金と銀の交換比率が、外国では「金1:銀15前後」であったのに対し、日本では「金1:銀5前後」と金が割安に設定されていた。外国商人はこの比率の差を利用してメキシコ銀貨を日本の銀貨に換え、さらに日本の金貨(小判)と交換して海外へ大量に持ち出したため、幕府は貨幣の改鋳を余儀なくされ、さらなる物価高騰を招いた。

④ 尊王攘夷運動から薩長同盟・大政奉還へ

  • 安政の大獄(1858〜1859年)と桜田門外の変(1860年):大老・井伊直弼は、朝廷の勅許を得ないまま日米修好通商条約の締結を認めたことや、将軍の跡継ぎ問題をめぐって幕府を批判した大名や志士(長州藩の吉田松陰、福井藩の橋本左内ら)を厳しく処罰した(安政の大獄)。これに反発した水戸藩などの脱藩浪士が、1860年3月に江戸城の桜田門外で井伊直弼を暗殺した(桜田門外の変)。

[過去問での問われ方:2021年度 大問4 問4(年表空欄補充・年代判定)]

2021年度入試では、ペリー来航(1853年)から桜田門外の変(1860年)までの略年表が示され、2箇所の空欄に入る出来事として「日米和親条約(1854年)」と「安政の大獄(1858〜1859年)」を正しく選ぶ問題が出題された。「ペリー来航 $\rightarrow$ 日米和親条約 $\rightarrow$ 日米修好通商条約 $\rightarrow$ 安政の大獄 $\rightarrow$ 桜田門外の変」という一連の因果関係を正確にたどる力が求められた。

  • 公武合体と尊王攘夷運動:幕府は揺らいだ権威を立て直すため、孝明天皇の妹である和宮を14代将軍・徳川家茂の妻に迎え、朝廷と幕府の結びつきを強める公武合体(こうぶがったい)を進めた(※2019年度前期問4で出題)。一方、長州藩などを中心に、朝廷を敬い外国人を武力で追い払おうとする尊王攘夷(そんのうじょうい)運動が激化した。
  • 攘夷から倒幕への方針転換:1863年、薩摩藩は生麦事件(1862年)の報復として来航したイギリス艦隊と交戦し(薩英戦争)、長州藩も下関海峡で外国船を砲撃した報復として、1864年にイギリス・フランス・アメリカ・オランダの4か国連合艦隊に砲台を占領された(四国艦隊下関砲撃事件)。欧米の軍事力を知った薩摩・長州の両藩は、無謀な攘夷が困難であることを悟り、イギリスに接近して軍備を近代化しつつ、幕府を倒して統一国家をつくる方針へと転換した。
  • 薩長同盟(1866年):幕府に対抗するため、土佐藩出身の坂本龍馬(さかもとりょうま)らの仲介により、それまで対立していた薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通と、長州藩の木戸孝允(桂小五郎)が京都で協力関係を結んだ(薩長同盟)。これが後の倒幕運動を進める重要な基盤となった。
  • 世直しへの期待と大政奉還・王政復古の大号令(1867年):物価高騰や政情不安が続くなか、各地で「世直し(よなおし)」を求めて一揆や打ちこわしが起き、「ええじゃないか」の騒動が広がった。薩摩・長州を中心とした武力倒幕の動きが迫るなか、15代将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は土佐藩の勧めを受け入れ、1867年10月に京都の二条城で政権を朝廷へ返上することを申し出た(大政奉還[たいせいほうかん])。大政奉還によって約260年間続いた幕府政治は終わりへと向かった。同年12月、王政復古の大号令が発せられ、幕府が廃止されるとともに、天皇を中心とする新政府の樹立が宣言された。

[過去問での問われ方:2019年度 後期 問5/2026年度 大問2 問5]

  • 2019年度後期(5):日米修好通商条約における「関税自主権」の欠如と、15代将軍・徳川慶喜による「大政奉還」を組み合わせて選ぶ問題が出題された。
  • 2026年度(5):幕末の世相を描いた絵画資料と説明文から、民衆が現状の変革を期待した「世直し」と、徳川慶喜が行った「大政奉還」の正しい組み合わせを選ぶ設問が出題された。

6. まとめ:江戸後期〜幕末は「改革の対比」と「開国への段階」で整理する

江戸時代後期から幕末にかけての学習は、国内の政治・文化の比較と、対外関係の段階的な変化をセットで整理することで、複雑な出来事がすっきりと一本の線につながる。

【江戸後期〜幕末・総復習チェックリスト】

1. 寛政・天保の改革と幕政の動揺
   ・寛政の改革(1787年〜・松平定信):棄捐令(旗本・御家人の借金救済)、旧里帰農奨励、囲米、寛政異学の禁(朱子学重視)
   ・天保の飢饉と反乱:1837年、大坂で大塩平八郎の乱(元奉行所与力の蜂起)
   ・天保の改革(1841年〜・水野忠邦):株仲間の解散(物価引き下げ目的)、人返しの法、上知令(失敗)
   ・雄藩の台頭:薩摩藩・長州藩などが専売制や洋式軍備の導入で改革に成功

2. 化政文化と新しい学問(19世紀初め)
   ・化政文化(江戸中心の町人文化):小林一茶、十返舎一九『東海道中膝栗毛』、曲亭馬琴、喜多川歌麿、葛飾北斎『富嶽三十六景』、歌川広重『東海道五十三次』
   ・国学:本居宣長が『古事記伝』を著し大成
   ・蘭学:前野良沢・杉田玄白『解体新書』(1774年)、伊能忠敬(全国を測量 $\rightarrow$ 死後の1821年に弟子たちが『大日本沿海輿地全図』を完成)、シーボルト(鳴滝塾)
   ・教育:武士の藩校、庶民の寺子屋(読み・書き・そろばん)

3. 異国船の接近から開国・大政奉還へ
   ・対外政策の転換(2017年後期整序):ラクスマン来航(1792年) $\rightarrow$ 異国船打払令(1825年) $\rightarrow$ 蛮社の獄(1839年・渡辺崋山・高野長英) $\rightarrow$ 清がアヘン戦争で敗北 $\rightarrow$ 薪水給与令(1842年)
   ・日米和親条約(1854年・ペリー):下田・函館の2港を開港、薪水・食料の供給(鎖国の終わり)
   ・日米修好通商条約(1858年・ハリスと井伊直弼):函館・神奈川(横浜)・長崎・新潟・兵庫の5港の開港を規定、自由貿易開始、不平等条約(領事裁判権の容認・関税自主権の欠如)
   ・経済の混乱:生糸・茶の輸出急増による生活物資の価格上昇、金銀交換比率の差による金貨流出
   ・幕府政治の終焉:安政の大獄 $\rightarrow$ 桜田門外の変(1860年) $\rightarrow$ 公武合体(和宮降嫁) $\rightarrow$ 薩英戦争・四国艦隊下関砲撃事件 $\rightarrow$ 薩長同盟(1866年・坂本龍馬仲介) $\rightarrow$ 世直し一揆・大政奉還(1867年10月・徳川慶喜) $\rightarrow$ 王政復古の大号令(1867年12月・幕府廃止)

過去問演習で江戸時代後期〜幕末の設問に向き合う際は、「三大改革のうち誰のどの政策か」「異国船打払令と薪水給与令、和親条約と修好通商条約のどの段階か」を常に意識して解き進めてほしい。

これで、千葉県公立高校入試の歴史大問(古代〜近世)で問われる全時代の重要知識の整理が完了した。各時代の「3つの整理軸」と15年間の出題パターンを武器に、自信を持って本番の試験に臨んでほしい。

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この記事を書いた人

習志野受験研究所 所長/新・個別指導アシスト習志野校 塾長

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